表札のない家

 翌朝,いつものようにダンナが出勤すると,私はラジオのスイッチを入れ FM を聴きながら洗濯と朝食の後片付けをした。洗濯機がまだすすぎの状態のとき,二階に上がり布団をベランダに干していた。毛布を干し次に敷き布団を取りに行こうとしたときに,クレープがリビングから庭に出て行く姿に気づいた。いつもと変わらない行動だった。ゆっくりと外に出て,百日紅の方へと向かっていった。ただ一つ,違うことはのみ取り用の白い首輪をしていることだった。その首輪のネームプレートの中には,私から彼女?宛の短 い手紙が入っているのだ。少しの期待とその倍くらいの不安を抱きつつ,私はクレープ の行動に熱心だった。そんな私の心情とは裏腹に,クレープはいつものように百日紅の横を通り,塀に昇り二件先まで進んで姿を消した。

 午前中の主婦としての仕事を一通り終えると,私はラジオのスイッチを切り,自転車に乗って家を出た。もちろん目的地はあの芝生の庭の家だ。運がよければ途中でクレープの姿を確認できるかもしれないと期待したのだ。もちろん,外で飼いねこに会える可能性が低いのは,こどもの頃からねこをほとんど欠かしたことのない私には分かっていることだ った。家を出ていつもの買い物の道を,途中で左に折れ芝生の庭の家を目指した。路地を入って三軒目の玄関先にプランターの置いてある家だ。最近のプランタープランター菜園として野菜やくだものを作ることが多いようだが,芝生の庭の家のプランターにはそう いった類のものはまったく見あたらず,ゼラニュームやベゴニアなどのあでやかな花が咲いていた。私は一軒家に住んでいるけれども,それほど植物には興味がない。もともと植えてあった木には,それなりに水をやっている。雑草も生えてくれば,時々は抜いたりも している。まあ,人が遊びに来て庭を見られたときに,恥ずかしくない程度の手入れだけはしている。そんな私が見ても,この家の人間はこまめに花の面倒をみているし,庭の芝生の手入れもしっかりしていることが分かった。

 前の日と同じように,私は玄関脇の家と塀とのせまい隙間から庭の方を見た。けれどもやはりクレープの姿はもちろんのこと,庭の様子もまったく見ることができなかった。これでは何の進展も見られない。そう思うと,やはり家の人に直接聞いてみるしかない。でも,どうやって聞いたらいいだろうか。いきなりねこのことを切り出すのはどう考えても 怪しまれる。そもそも,この家にクレープが入ったという事実はまだ確認できていないのだ。家の入り口の前に自転車を止めしばらく思案していると,近所の主婦が私のことを少しいぶかしそうな目線を送りながら通り過ぎた。私はこれ以上こうやって立っているのは無理がある,そう思いその場を立ち去ろうとした。そのとき,あることに気づいた。芝生の家には表札が出ていなかったのだ。マンションなどは部屋番号だけで,郵便受けに名前が出ていないことはよくある。けれども,一軒家で表札が出ていないことは珍しい。郵便物や宅配便が届きにくいだろう。人が訪ねて来たとしても,その家を見つけるのが難しく なる。空き家には見えないその家に,表札が出ていないことはかなり不自然に思えた。その不自然さに誘われるように,私は自分でもなぜそうしたのか解らないが,芝生の家のチャイムを鳴らした。梅雨も終盤に入った,梅雨の中休みの日だった。少し蒸し暑さを感じ る,まだ昼までは少し間のある午前のことだった。