幕間

  私たちのねこ通信は必ずしも毎日あるわけではない。比較的時間に余裕がある私は毎日でも書くことができるだろうが,忙しい(かもしれない)彼女にそれが負担になってはいけないと気を遣っているのだ。食事を作ったり庭の芝生やプランターの手入れ,それに学校だって行かなければならない。もちろんこれは私の勝手な想像で作り上げた彼女像だ。果たして彼女の正体はどうなのだろう。この前の手紙では「たくさんのお話がしたいのです」と書いてあった。それならば彼女からの手紙が先のように思えたのだ。そう,次の手紙は彼女からの方がいいと思った。もっともクレープが100%毎日彼女の家に行っているとも限らない。ねこは気まぐれだ。行きたい場所などその日の気分で変わってしまうかもしれない。クレープと彼女との関係だってどれくらい深いのか分からない。そんなことなど気にすることもなく,今日のクレープはソファで静かに眠っている。首輪のプレートには何の手紙も入れずに。

午後になり買い物に行くときクレープはまだ眠ったままだった。戸締まりをして出かけるので,クレープは家から出られなくなる。少なくとも日中に彼女の家には行けなくなった。家を出るとふとあの芝生の家の前を通りたくなった。近所だしその気になればいつだって行けるのだ。行ったところで何かするわけでもないがなんとなく気になったのだ。自宅を出て数分で芝生の庭の家の玄関に着いた。相変わらず手入れの行き届いたプランターが並んでいた。赤や赤に白色が混ざった左右非対称のベゴニアの花が見事すぎて圧倒される。簡単に人を受け入れてくれないように思う。玄関までの短い階段を守っているようにさえ思える。特に今日はそれを感じてしまう。彼女との距離は縮まったはずなのに,なぜだか現実の場所にやって来ると臆してしまう。それはまだ,その家が彼女の家であることが確定できたわけではないことも一因している。結局のところ何もせずに芝生の家の前から1分ほどで立ち去った。この前も来たばかりで,いくら閑静な住宅街でも人に見られたら怪しまれる。私たち夫婦はまだこの地に来てそれほど長くない。不審者に思われたらふだんの生活がしにくくなる。それはさすがに嫌だ。

 買い物は家から一番近いスーパーで済ませた。自転車の後部のかごに買い物袋を載せ,帰り道の途中にあるドラッグストアーでキャットフードを買い求めた。どういう訳かキャットフードはスーパーよりもドラッグストアーの方が豊富な品揃えだ。スーパーマーケットはあくまでも人が食べるものを売るのが商売なのだから,ねこや犬の食べものは二の次なのだろう。だからといってドラッグストアーも人間の薬が主で,むしろペットの薬など扱っていない。ねこや犬などのペットが病気になったときに,やはり動物病院に連れて行く。それがまともな判断だと思う。人のようにどこが痛いとかはもちろんのこと,体調が悪くても飼い主に伝えることができない。それが大きな違いだ。人ならばこどもでも「お腹が痛い」と訴えられるが,ねこや犬あるいはすべてのペットにそれはできない。よほど体調が悪くならない限り飼い主は気づかないだろう。怪我をしたり体に痛いところがあってもじっと我慢している。野良猫ならば怪我をすれば薬もつけず,もちろん治療などして貰えることなどもなくひたすら傷口が閉じるのを待つだけだ。出来ることといえば嘗めることだけ。やはり野良猫はかわいそうだ。飼われてるねこでも飼い主が気づいてあげられなければやはり我慢しているしかない。だからこそふだんからみていてあげなければならない。いつもと違う様子が分かるのは一番身近に過ごしている飼い主なのだから。