クレープの瞳の中は,漆黒の闇のように思っていた。けれどもずっと覗き込んでいると何かそこに存在するものが見えてきた。暗闇に閉じ込められた人が,時間とともに目が慣れて真っ暗だと思っていたその空間に,少しずつ輪郭が見えてくるように。私は深呼吸したあと,クレープの瞳の中にあるものをひとつずつ確認していった。小さな部屋には机があり,壁には絵が掛けられてある。床にはカーペットが敷かれ窓にはベージュのカーテンが外の光を遮っていた。間違いない。クレープの瞳の中にははなちゃんの部屋が収められていた。ついさっきまでいたあの場所だ。けれどもそこにはなちゃんの姿も私の姿も見ることはできなかった。ブルーキャットもクレープも居ない。映画のセットのようにその部屋はクレープの瞳に収められていた。「まったく同じ……」そう声に出したか出していないか,自分でも分からないくらい小さな声で呟いた。そしてできる限りの力を振り絞ってクレープに手を伸ばし,彼女の小さな頭を撫でた。そうすればクレープは目を閉じ,この非現実的な世界から抜け出せると思った。けれども私の手はクレープに届かなかった。すぐそこにあるはずのクレープに届かないのだ。これはもう夢の中に居るのだ。ウソでもいいからと自分に言い聞かせた。夢か現実か分からないとき,自分の頬をつねるというマンガチックなことをしてみると痛さを感じた。夢じゃない?でも自分の頬に届く手が,目の前のクレープに届かないなんておかしい。早くいつもの家の中の空間を取り戻さなければ。私は精一杯の意思でクレープの瞳の中から逃れようとした。その瞬間,壁に掛けられた木枠の中の小さな絵が目に入った。そこには半分の月があった。はなちゃんの部屋にあった絵とは違う。再びクレープの瞳を覗き込みその半分の月の絵を見入った。
半分の月の上には太陽はなかった。すべて月の中に流れ込んだのだろうか。それとも太陽だけ移動し『絵の外の世界』へと脱したのかしら。半分の月は溶けることもなく存在した。円弧の下も破れていない。でもどうやって木の枠の中の絵に入り込んだのだろうか。すべてはクレープの瞳の中で起こっていること。その狭い世界に存在することだ。近くにあるのに手の届かない空間。その小さな空間に拡がる世界は現実に存在した世界だ。
疲れた。少し眠ろう。