薄い紙

 今年の梅雨明けは突然だった。梅雨入りが遅かったので,7月中は雨の日が続くものと覚悟していたのだが,月が変わったかと思ったらすぐに梅雨明けが報じられた。梅雨の時期が短いとまた,夏場の水不足が心配だ。もっとも,ねこにとってそんなことはまったく気に掛けることではないだろう。もし水不足になったところで,ねこが生活するための水など十分あるのだから。飼われているねこの場合,飲み水は飼い主が用意してくれる。たいていの場合,餌用のトレイの横に置いてあるのではなかろうか。我が家の場合もキッチンのシンクの下にいつも置いてある。水は朝と夕方に替えておく。クロはよく母が洗い物をしているとき,シンクの淵に飛び乗り蛇口から出る水を直接飲んでいた。舌を器用に落ちていく水に沿うように飲んでいた。その一方で,野良猫は大変だ。昔ならいざ知らず,今どき水が人家にあるようには思えない。洗濯機は家の中にあり,生活用水は下水に直接流れ込む。彼らはどこで水を得ているのだろうか。雨水などが溜まっている場所があるかもしれないが,体に悪いのは明らか。それゆえ野良猫の寿命は短いのだろう。

 梅雨が明け晴れ間の日が増えたことでクレープの外出も増えた。やはり雨が降ると出不精になるのは人もねこも同じなのだろう。特にねこは足が濡れることを嫌がる。外出が多い割りにはクレープの首輪のプレートには彼女からの新しい手紙が入らない。彼女も私同様,相手からの手紙を待っているのだろうか。いや,そんなことはない。なぜならば彼女からの最後の手紙には「これからもこうしてクレープを通して,私の話を聞いて頂けるでしょうか。たくさんのお話がしたいのです」とあったのだから。だからこそ次の手紙は彼女の方から来るべきなのだ。どこの誰かも分からない人にあれこれ喋るものじゃない,と芝生の主から言われたのだろうか。あるいは彼女自身の判断で怪しいと感じたのだろうか。それともどこか旅行に出かけたのか。それも考えにくい。まだ夏休みの時期ではないし,お盆休みもずっと先だ。それに彼女が旅行に出かけるのは想像しにくい。数回の手紙のやりとりでそんなことが分かるのか?と言われそうだ。確かにそうかもしれないが,直感的にそう感じるのだ。

 クレープは今日も昼過ぎにリビングから出て行った。いつものように百日紅の横を通り抜け,塀に上りその狭い幅をものともせずに走り去っていった。その姿を見届けてから私は昼食の後片付けをし部屋の掃除を始めた。シンクを重曹で磨き,テーブルの上にある物をすべて片付けテーブルクロスを交換した。リビングに向かい掃除機を掛けた。それから床の拭き掃除を始めた。掃除機は毎日掛けるのだが,拭き掃除は週に1・2回程度している。夫が庭とリビングを行き来するのでそれなりに汚れが出てしまう。拭き掃除の時はテーブルもソファも移動して丁寧に拭いていく。家事はしっかりやる。それが私のこだわりだ。ソファを移動したとき,その下から白いものがひらひらと舞い上がった。えっ!まさか。慌てて手に取ろうとしたけれども,紙は薄く舞っていたため直接手に取ることは出来なかった。床に落ちてからそっと指先でつまんだ。文字の書いていない面が上になっていたが,それが彼女からの手紙であることはすぐに分かった。何故こんなところにあるの?うろたえながら手にすると,それはいつもにも増して薄い紙,クラフト紙のようなものが床にぴったり張り付いていた。つまみ上げたその紙には,いつもの彼女の真っ直ぐな文字が青いインクで記されていた。

 こんにちは。今日は私のことを少し書きます。