ねこ通信

 リビングの時計を見ると11時を過ぎていた。私が起き上がると,さすがにクレープも眠り続けるわけもいかず起き上がった。大きなあくびをし,ねこ特有の伸びをするとまたすぐにソファに横になり眠ってしまった。いつどこから帰ってきたのかしら?窓は閉まっている。考えられるとしたらダンナが再び蟻を見に外に出た拍子に入ってきたのだろう。けれどもそれを確かめるには遅すぎた。11時前にダンナは寝てしまうからだ。まあいい。明日訊けばそれで済む。そんなことよりもクレープが帰ってきてくれたことの方が嬉しい。私の心配は取り越し苦労だった。そしてホッとしたそのすぐあとに急に手紙のことを思い出した。今日は返事を書いてくれただろうか。前足に顎を乗せて眠っているクレープを起こさないように首輪を操作した。プレートが見えるようになるまで回転させた。そしてそこには新しい手紙があった。私のメモ用紙ではなく,彼女の紙であるのはプレートから取り出す前から分かった。

 クレープが運んでくる手紙は,私が書くものも彼女が書くものもほんの数行にしか満たない。その短い手紙の中で,彼女が伝えようとする言葉が凝縮される。部屋のどこで記し,どんな姿で書いているのだろうか。私の想像した小さなソファの側にある簡易的なテーブルの上で書いているのだろうか。いや,それは違う。想像できない。芝生の見える窓ガラスのすぐ側にある,彼女がこどもの頃から使っているアンティーク調の木の机に向かって書いているのだろう。机の上には余計なものなど一切なく,筆立てには万年筆とこの手紙を書くための飾り気のない青いインクのボールペン,それと消しゴムの付いた黄色い鉛筆が3本並んでいる。私の勝手な空想で作られた彼女の部屋で,どこまでも真っ直ぐな字で静かに手紙を記している姿を想像した。クレープが運んでくれたことによって始まった私たちの繋がりは偶然ではなく,きっと昔から決まっていたことのように思えた。さっきまで無彩色に見えていた庭も今は生気を取り戻し,私の目に映る世界は変わった。

 自分の腕に顎を乗せていたクレープの機嫌を損ねないようにそっとプレートから彼女の手紙を取り出した。きれいに折りたたまれた紙はいつも通りで私を安心させた。二つ折りのその紙を静かに開くといつものあの真っ直ぐな文字が並んでいた。今日の彼女は何を考え何をして過ごしたのだろうか。まるで付き合い始めたばかりのように,高揚感を抱いている自分が可笑しかった。まだ見ぬ人に,しかも同性に対する気持ちではない。この不思議な気持ちはどこから来てどんなふうに変化して,やがて私から去ってしまうのかしら。それともこの感情はただの思い違いで,時間が過ぎれば消えてしまうのだろうか。いいえ,それはおそらくないだろう。クレープが実在する限り消えてなくなることなどないはずだ。いけない!考えすぎだ。

 彼女の手紙の最後にはお願いが記されていた。

 こんにちは。今日もクレープは私の部屋に来てくれました。私の部屋ではずっと静かに眠っていました。ひとつお願いがあります。これからもこうしてクレープを通して,私の話を聞いて頂けるでしょうか。たくさんのお話がしたいのです。

 こうして私たちの“ねこ通信”が始まった。