黒ねこの夢

 「こんにちは。返事ありがとう。この子はうちで飼っているねこです。クレープという名前は私がつけました。あなたも同じように呼んでくれると嬉しいです。クレープは私たちが引っ越してきて間もなくやって来ました。その時はまだ,子ねこでした。だからこの子はまだ一歳にもなっていません」
 メモ用紙だったので,それだけ書くといっぱいになってしまった。私の字は女としては比較的大きい方なのだ。私は自分の書いたその短い手紙を二度ほど読み返し,問題がないことを確かめた。自分のことはほとんど記さなかったが,相手もクレープのことが気掛かりだろうからそれで構わないだろう。でもその反面,私は相手がどんな人物なのか知りたかった。クレープが運んだ手紙には「わたし」と書かれていた。文体や字の感じからほぼ女性であることは間違いない。私はクレープがもう一つ住み家を持っていることよりも,相手の素性の方に関心が移っていた。でも,私からの最初の返事にはそのことには触れなかった。いきなりねこのことよりも相手のことを訊くのは不自然だし礼儀に反すると思ったからだ。いずれ,向こうからも訊いてくるかも知れない。

 手紙を二度半分に折り,クレープの首輪のプレートに彼女が起きないようにそっと滑り込ませた。手紙をプレートに入れると,私はソファに腕を乗せ,その上にあごを置く格好で床に直に座りしばらくクレープを眺めていた。
「お前は二また生活をしているのか?かわいい顔をしてやってくれるね~。どんな人にかわいがられているんだ?」
そう言うと,クレープは耳を二度ピクピクと動かして“返事”をした。ねこは寝ているときに音がすると,目を開けずにこうして耳を動かして様子を伺うのだ。ゆっくり呼吸していることを教えているかのように,クレープは柔らかいお腹を上下に動かし続けていた。初めて長いと感じた午前が終わることを,つけっぱなしにしていたFMが知らせた。私はおもむろにソファから立ち上がり,ラジオのスイッチを切り二階に上がった。少し疲れて眠気が襲ったのだ。

 夢を見た。黒ねこの夢だ。三匹目のねこだ。高校生の夏休み,部活を終えた私は家に帰ると冷蔵庫を開けてすぐに冷えたオレンジジュースをコップに注いで一気に飲み干した。飲み干すと黒ねこが私の視界に入った。彼女はテーブルの下に,体を広げられるだけ広げて眠っていた。暑い夏には面積を最大にする形で,体を床や軒下の屋根につけるようにして体温を調節する。私は少し面白がって黒ねこにちょっかいを出した。靴下を脱いで素足で寝ている黒ねこのお腹を軽く踏んづけた。最初彼女は無視していたのだが,私がしつこくしかも徐々に力を入れていったら,急に起き出して爪で私の右足の小指の付け根を引っ掻いた。その爪がくい込み取れなくなった。私は慌てて「お母さん!お母さん!」と助けを求めた。けれども母は姿を現さなかった。右足を見るとそこに黒ねこは居なく,彼女の爪だけが私の肉にくい込んだまま左右に動いていた。私は泣きながらそれを振り落とそうとしたけれども,振れば振るほど爪はさらにくい込み,ついには反対側から飛び出してきた。このままでは小指がちぎれてしまう。そう思い私はしゃがんで爪を抜こうとした。しゃがむとそれまで居なくなっていた黒ねこがテーブルの脚のところに座っていた。彼女の片足からは爪が抜け,そこには私の小指が生えていた。私は気が動転して立ち上がろうとすると,思いっきり頭をテーブルの天井にぶつけた。黒ねこはそれを見ると満足そうに私の小指をつけたまま外に出て行った。