半分の便箋

「こんにちは。クレープの飼い主さん。この子の名はクレープという名前なのですね。なんてかわいらしい名前なんでしょう。あなたがつけた名前なのでしょうか。わたしはずっとこの子のことを『ミケ』と呼んでいました。それで彼女は何度も返事をしてくれたのでそう呼んでいました。でも,今日試しにこの子にミルクをあげたときに『クレープ』と呼んでみたら小さな声で返事をしてくれました。わたしもこれからはそう呼んでみてもいいでしょうか」

 便箋を半分に切ったその小さな手紙には,どこまでも水平で真っ直ぐな細かい字が測ったように正確に記されていた。私はその手紙を何度も何度も繰り返し読んだ。彼女 - やはり女の子だった - は私に対して決して好戦的ではないようだ。そしてクレープという名前を素直に受け入れてくれそうであった。彼女がつけた「ミケ」という名は放棄するつもりなのだろう。クレープのまだ短い歴史の中でも,私の方が彼女よりも先に関わったことを認めてくれたようだ。そんなことを思うとほんの少しホッとした。私の方が主導権を握っていると感じたのだ。そんな小さな占有権を感じている自分を少しあさましいと思った。

 手紙を11回読み返してから私は食べかけの冷や麦に再び箸をつけた。九つのロックアイスはすっかり小さくなり麺も少し堅くなっていた。それでもショウガと細かく刻んだネギ,それに黒ごまの香りに救われた。それ以上に彼女からの返事が嬉しかった。ガラスの器の冷や麦が残り三分の一になったとき,ふと彼女のことを考えた。いったい彼女は何歳なのだろう。大人なのかそれとも高校生くらいだろうか。字の感じからすると少なくとも中学生以下ではないだろう。高校生もしくは大学生というのも考えにくい。なぜならば,朝私がクレープを送り出してからそれほど時間が経たないうちにクレープは帰ってきた。そのわずかな時間であれだけキッチリした字で返事が書けるほど,高校生や大学生の女の子には余裕がないだろう。とすると彼女も私と同じ主婦なのだろうか。もしかすると私よりもずっと年上なのかもしれない。主婦というよりもお婆さんと呼ぶ方がふさわしい年齢の人かもしれない。でも,文体や字の感じからそんなに高齢ではないと思った。私はダンナほどたくさん本を読んでいるわけではない。けれども文体から書き手が男なのか女なのか,書いた人がどんな状況あるいは心境で書いたのか,そのあたりを読み取ることには比較的自信がある。学生時代,決して国語の成績は優秀とは言えなかったが,書き手がどんな境遇で小説や論文を書いたのかを推測することは得意だった。ダンナみたいに理詰めで根拠を示すことはできないが,彼よりも書き手の素性や状況を言い当てることは確かだ。そんな私が推測する限りでは,彼女は私より年下だろう。でも,私より年下の主婦だとすると,彼女はまだかなり若いだろう。なぜならば私だってクレープが来た頃は新婚だったのだから。

 いずれにせよ,クレープは二また生活をしていることがはっきりした。ねこの経験値が高い私としては,それほど意外なことではなかった。それよりも今度は私が返事を書く番となった。私は残り三分の一の冷や麦を三口ほどですべて喉に流し込み,器を流しに持っていき,再びテーブルについて信用金庫のメモをちぎりボールペンを手にした。