短い手紙

  私はクレープを起こさないように,そっと首輪を外した。そしてネームプレートのカバーをとり,「ミケ」と書かれた紙をそこから抜いた。すると,その下には丁寧に折られた一枚の薄い紙があった。取り出す前からそこに文字の存在が確認できた。二度折られたその紙は,あぶらとり紙のように薄かった。開いてみると整った小さな字で「どうかこ の子の首輪を外さないでください。ミケをいじめないでください」と書かれていた。薄い紙に青いインクのボールペンで書かれたその字は,女性もしくは女の子が書いたもののように見えた。横書きで右上がりでも右下がりにもなっていないその字は,そのまま延長していっても永遠に水平なまま進んでいきそうなくらいまっすぐに書かれていた。三行に渡って書かれたその文字を,私は何度も何度も繰り返し読んでみた。そう,何度も何度も 読み返してみた。

 クレープがよその誰かの家に寄っているのは確かなことになった。家の中に入っていないにしても,私以外の誰かになついているのがはっきりした。私は外したクレープの首輪を戻そうか,あるいは再び首輪を外して出そうか少し迷った。でも,その晩は外したままクレープを寝かそうと思った。明日の朝,彼女が出て行くまでにどうするか決めればいいと思った。結果を先延ばしにしたのだ。なんて返事を書こう。首輪を戻したときのことを考えた。静かに眠るクレープに呟きかけた。もちろんクレープはそんな言葉などまったく耳にも入らずに眠り続けていた。私のねこだと主張しようかしら。でも,それはちょっと大人げないかもしれない。いや,もしかすると相手の方も大人かもしれない。最初から高飛車に出て,クレープを軟禁されては困る,そんな余計な心配までしてしまった。すでに守りに入っているのだから,やはり私にとってクレープは欠かせない存在になっていたのだろう。

 そんなことを考えているうちにダンナが帰ってきた。もともと呑む方ではないダンナなので,それほど酔って帰っては来なかった。ダンナは帰ると,着替えてすぐに風呂に入った。風呂に入っている間も,私はまだ首輪のプレートに入れるかもしれない返事のことば かり考えていた。ダンナが風呂から上がってきてから当然聞かれるであろうことに対する返事などまったく考えることはしていなかった。やがてダンナは風呂から出てきて,ク レープの眠っているソファの向かい側に座った。クレープの姿など,彼の目には入っていない様子だった。まあ,いつものことではあるが。ダンナはソファに座り番茶を飲 みながら
 「お母さんが来たんだろう。何か言っていたか?」と言った。 その言葉を聞いて私はハッとした。そうだった。母が来ることになっていたのだ。私は不意を突かれたことを隠すように平静を保ちながら
 「別に,特に何も言っていなかったわ。あなたは付き合いで今日は呑んでいるって言ったの」と私は返事をした。
 「そうか。俺がいなくて悪いことをしたな。それで,梅酒はどこにあるんだ」とダンナが言った。私は自分のついた嘘の準備などまったくしていなかった。さっきのように平静を保つこ とはできなかった。明らかに私はうろたえていたのだ。