不眠症のねこの存在について

 結局「ミケ」と書かれた首輪は外した。どこの誰が付けてたのか分からないものを付けているのは気持ちの良いものではなかった。それにクレープはあくまでもうちで飼っているねこなのだ。冗談じゃない!そう思った。たまに犬やねこに服を着せている人を見かける。あれこそ人間のエゴだと思う。もともと体中に毛皮を着込んでいるような彼らに,さらにその上から服を着せるのは悪趣味と私は思う。それに近いとは言わないが,ねこには首輪など必要ない。結婚するまでに実家で飼っていたねこはすべて,首輪など付けたことがなかった。ましてやクレープはこれまでにノミで悩まされたことなどなかった。首輪を外してやると,以前のクレープの姿に戻り,それを見て少し安心した。やはりこの子に首輪は似合わない。首輪のないクレープを見て私はそう呟いた。でも,彼女は首輪が付いていようがそれがなかろうが,大して変わった様子でもなかった。彼女にとってはどうでもよかったのだ。

 それにしてもクレープが首輪を付けられるような心当たりはなかった。彼女は比較的“いい子”で,これまで外泊などしたことはなかった。以前,実家で飼っていた二匹目の茶色のねこは時々帰ってこないことがあった。長いときは三日三晩も帰らず,家族を心配させたものだった。二日目まではまだいい。けれどもさすがに三日帰らないと,どこかでのたれ死んでしまったかと不安になる。そのたびに私と弟は近所を探し回ったものだった。にもかかわらず,何事もなかったかのように彼はほとんどの場合帰ってきた。でも,それも100%というわけではなかった。悲しいことに。

 クレープがわが家にやって来てからというもの,彼女に関してはその心配はなかった。だからこそ余計に他の人間が彼女に触れることは考えにくかった。クレープは確かに人なつこい。初めてわが家にやってきたときも,私の誘いにさっさと乗り家の中に入れたのだ。あの調子で他の家の庭に行けば,同じように捕まってしまうかもしれない。でも,そうだとしても最初から首輪など用意しないだろう。しかものみ取り用のものなど。何度か行き来がなければ,そこまでの準備はできないはずだ。

 私は少しの不安を抱きつつも,クレープが外に出かけるのを楽しみにしていた。もし今度出かけてから戻るときに首輪を付けていたとしたら,彼女の “二また” 生活は確実なものになる。そんな私の思いとは裏腹に,クレープはリビングで眠っていた。ねこ=寝る子と言われるように,ねこの一日はその大部分が寝ることで終わる。もともとが夜行性なので,特に昼間は寝ていることが多い。不眠症のねこなど存在しないのだろう。私はいつものようにゆったりとした午前中を過ごした。FMを聴きながら洗い物を片付け,洗濯物を二階のベランダに干した。百日紅はその木肌をワックスで磨いたように,相変わらずつやつやさせていた。あの下にクレープが居たんだ。洗濯物や布団を干すたびに私はその方向を見るのが習慣となった。やはりねこのペースになってしまったと思いつつも,それほど悪い気はしなかった。最後の洗濯物をカゴから取り出そうとしたとき,クレープが外に出かけようとして,リンビングから庭にちょうど姿を現した。私はちょっとドキドキしながらその光景を見ていた。クレープに見つからないように,洗濯物を干すのをやめ息を潜めていた。やがてクレープは百日紅の横を素早く通り抜け,塀を伝って二軒先まで素早く歩いていった。突然何かを見つけたように塀を下り,私の視界から消えていった。