雨の日とねこ

 初めて飼ったねこはまだらのぶちねこだった。まだ,私が小学校低学年の頃,我が家に住みついた。彼はどこの家にでも居るねこと同じように気まぐれだった。私が学校に行くときには家に居ないことが多かった。そろそろ梅雨時を迎える少し動くだけで汗ばむ季節のことだった。その頃比較的“いい子”だった私は,母親から出されたキャラクターの絵の入った明るめのピンクの長靴を,文句も言わず履いて登校した。雨の日だからといって,長靴を履く子はほとんどいなかったし,男子に至っては,運動靴だったり中にはビーチサンダルを気にもせず履いてくる子もいた。膝の裏側まで泥がはねることなどまったく気にしなかったのだ。けれども,そんなことはぶちねこのことと比べれば気に病むことなどまったく必要ないことだった。いや,比べること自体意味を持たなかった。ぶちはかつて穏やかな性格だったであろう私の神経を簡単にさかなでることをしてくれた。母が出す長靴だっていやだった。ずり下がってくる靴下の気持ち悪さもいやだった。無神経な男子の振る舞いも許せなかった。少しずつ男の子と遊ぶことに興味を失い欠けていた年齢だった。ましてや,自ら進んで仲良くなろうとも思っていなかった雄ねこなど,興味を示す範疇に入るはずもなかった。でも,母親の意向でその頃の私の生活の中にぶちは入り込んできた。それは,時には勝手にそこに存在し,時に私が“わざわざ”居て欲しいと思うのに,まるで私の心を見透かしたかのように姿を現さないこともあった。まあ,今となっては彼らの生態をそれなりに理解している私には,少しの余裕を持って見られるのだが,当時の私は - 当たり前だけれども - 若すぎたのだ。  

 そもそもねこの生態とヒトの行動を比べること自体問題があるのかもしれない。けれども,幼い頃の私にはそれを許せるほどの寛大な心など持ち合わせるはずもなかった。ぶちねこ - もちろん家族間での呼び名はあったのだが,今となってはぶちねことしか呼びようがない - は人間を欺く術を知っていたのだ。

 ある日のこと,彼は右足を引きずりながら帰ってきた。怪我をしたのだ。見た目には骨が折れていることは認められず,おおかたどこかで足を挟んだのか,ちょっと考えにくいのだが着地の時にくじいたのだろう。いずれにしても大したことのない怪我のはずだった。ところが,数日経ってもぶちねこの足はよくならなかった。家の中ではずっと足を引きずっていたのだ。まだ,心優しかった私は,彼の怪我の具合を気にしながら生活をしていた。そういう振りをしていたのかもしれない。でも,さすがに日が経つにつれ,彼の足のことが気になりはじめていた。一緒に住んでいるとそうなるものだと,こどもながらに覚えたのだ。やがて『いい加減良くなってもいいはずなのに』そう思い始めた。

 数日後,私は彼と二人きりになった。二人きりになると,不自由な足を引きずって歩く彼は少し気の毒に見えた。ねこにとっての後ろ足は,ジャンプするときにはかなり重要な軸足になるはずで,その片足に力が入らないとなると,いかに人間に飼われているとはいえ,獲物を捕るには充分な姿勢をとれなくなる。そんな私のいらぬお節介がはたらいたのだ。