クレープ

 私にとっての五匹目のねこは二度目の雌ねこだ。三匹目に飼った,気の強い黒猫 -クロという単純なネーミングだった - が最初の雌ねこだった。彼女と私との相性はよくなかった。クロは私がまだ中学生から高校生の時分に我が家に住みついていた。私もこどもから大人になりかけた頃だったので,いろいろと揺れ動く時期であったことが相性の悪かった原因だった。確かに,母や弟,それに父でさえクロとはそれなりにウマが合っていたようだ。だから最初のうちは,雌の三毛猫とうまくやっていけるだろうか?と多少の不安があった。でも,今回は私も少しは大人になり,彼女はまだ幼かったのでお互いに問題は生じなかった。彼女は子ねこの頃から我が家に住みついたのだから,当初は私に頼るしかなかったのだろう。

 クレープはおそらく捨て猫だったと思う。それを完全に肯定はできないが,否定する理由も見つからなかった。私たちの新居は新築ではなかった。最初からすべてが新しいというわけもいかず,ダンナの両親の家からそれほど遠くなく,また一時間程度でダンナが通勤できる距離に住まいを選んだ。新居ではないにせよ,それなりにリフォームはした。外壁はさておき,内装には私なりにこだわりをもって直したのだ。築十二年だったが,屋内に入れば新築と見違えるくらいの自信作にでき上がった。子ねこなど飼う気などさらさらなかった。けれども,クレープは我が家に住みついてしまったのだ。初めて彼女と会ったのは,私よりもダンナが先だった。仕事前のいつもの儀式=蟻の観察をしようと,彼が庭に出た。いつものように巣穴に近づき,様子をうかがおうとした時に,ダンナが庭からキッチンに居た私に,
 「お~い,ねこが居るぞ」と声を掛けてきた。
 「ねこ?何それ」とちょっと大きな声で言うと,
 「何だ,ねこを知らないのか?実家で飼ってたじゃないか」とまじめに言ってきた。
 「バカにしてるの。そうじゃなくて,どこの家のねこなの?」と私。
 「そんなこと分かるわけないじゃないか。引っ越してきたばかりだぞ。それより俺は,蟻の世話に忙しいからおまえが面倒見てくれ」と勝手なことを言ってきた。
 冗談じゃない。何で私が見ず知らずのねこの世話なんか。やっとねこの居ない生活がはじめられたのに。そう思いながら,ダンナの声を無視して朝食を用意した。それ以降,ダンナも子ねこのことなど気にもせず,もっぱら蟻に熱心だった。

 ダンナが出勤してから,私は一人でゆっくり朝食後の時間を楽しんだ。朝はFMを聞きながら本を読むことが多い。本の種類は何でもいいのだ。学生の頃に買った小説を読むこともあれば,ダンナの書斎の紀行ものを読むこともある。服や靴などの通販の本をぼんやり眺めることもある。蟻に関する本以外なら,特にこだわりはない。クレープが初めてやってきた日もそんなふうに過ごしていた。そう,私は完璧に庭の子ねこの存在を忘れていたのだ。小一時間ほどのんびりした時間を過ごしたあと,主婦らしい仕事に取り掛かった。まずまずの天気だったので,洗濯物を洗濯機に入れスイッチを入れた。二階に行き布団をベランダから干した。布団がたくさん干せるという点では,マンションよりも一軒家の方がよかった。ダンナの布団を干し,次に私の布団を取りに振り返ろうとした瞬間,庭の百日紅の木の下に三毛猫がいるのが目に入った。子ねこだ!と,とっさに呟いた。ダンナが朝の儀式をしているときに言っていたねこがまだ居たのだ。私は一瞬どうしようかと考えたが,落ち着いて自分の布団をベランダに掛けて干した。そして階段を下りサンダルを履き庭に出て,じっとしている三毛猫の方へゆっくり歩を進めた。