新月の夜のお出かけ

  ダンナが帰ってきた。昨晩のこともあり,私はちょっとバツが悪かった。でも,ダンナはそんなことはまったく気にしている素振りも見せなかった。いや,表現が適切でない。ダンナの名誉のために言えば,彼はまったく前夜のことなど気にしていなかったのだ。ダンナは「ぶっきらぼう選手権」で優勝することが容易なこと以上に,「あとぐされなしカップ」では間違いなく三連覇を果たすことだろう。なぜそう言いきれるかと言えば,ダンナが小学四年生のときの冬休みに起こった事件があった。彼がやっと字を書けるようになりはじめた幼稚園の幼少組から書き始め,一日たりとも欠かしたことのなかった絵日記を,彼の母親はことなげもなく燃やしてしまったのだ。ダンナの母が物置の掃除をしていたとき,不要となった書類を燃やそうとした。彼女は段ボール箱に入っていたその中身を確認することもなく,台所からマッチを持ってきて,勢いよく絵日記が入っていた箱に火をつけた。ほどよく油が染みついていたダンナの絵日記は,まるで理科の実験の炎色反応の見本のように,綺麗な黄色や緑,橙色を示しながらすべてが灰となった。さすがのダンナもそのことを知ったあと,10秒間黙っていたらしい。けれどもその事実を知らされたあと14秒後には「燃えたか」と言って灰を踏んづけた。断っておくけれどもこれは私の脚色など入れてない。結婚する前にダンナの母親,すなわち私の義理の母から聞いた話だ。

 帰宅したダンナは,いつものように風呂場に向かった。その後食卓に着いた。するとダンナは 「今日はもしかして…」と言った。
「もしかして…?何だったかしら」
ダンナの言葉に,私はいつもより少しだけ敏感になっていた。
「外が暗くないか」
「そうね。夜だからじゃない」と私が言うと,その言葉を無視するかのように
新月だな」とポツリと言った。
新月?確かに外は月の明かりがまったく無い暗い夜だった。
「ちょっと様子を見なければ」と言って,ダンナは懐中電灯を持ってリビングの窓を開け庭に出た。庭に続く窓を大きく開け放ち,サンダルを履いてダンナは蟻のすみかへと向かった。すでにダンナの耳には私の声などまったく届かない状況となっていた。

 ダンナが窓を開けたことが合図のように,ソファで眠っていたクレープは起き上がり,彼の後を追うように外に出た。夜に出かけるのは珍しいな,と思いつつクレープが外に出る瞬間に,同じように冬の夜に外に出て,そのまま二度と帰ってこなかったぶちねこのことがほんの一瞬私の頭をよぎった。けれどもそんな私の心配をよそにクレープは何の戸惑いもなく外に出た。珍しく彼女はダンナの足に頭を擦りつけてからいつものように百日紅の横を通り抜けていった。ダンナはクレープの行動にはまったく気づかずに,蟻の巣穴に熱心だった。クレープは真っ直ぐ彼女の家に行くのかしら?そんな思いを抱きつつ,暗やみに中に消えたクレープの残像をしばらく見ていた。