はじめてのお出かけ

 翌日の朝,ダンナはいつもの儀式をしに外に出て蟻の巣穴に近づいて行った。庭に続いている窓は開けっ放しだった。過ごしやすい季節だったので,私はダンナに何も言わなかったが,冬になっても同じようにしたら,ちゃんと窓を閉めるように言おうと思っていた。結婚してまだ三週間も経っていなかったが,こういったことは最初が肝心なのだ。守るべ きルールは守ってもらう,それが長く一緒に暮らすにはお互いに必要なことだ。妥協を繰り返すことで,お互いが無関心になることは嫌だった。

 クレープはソファの上でまだ眠っていた。ダンナが庭から戻り家に入ったときにゆっくり起き上がり,ねこ特有の伸びを思いっきりした。そのあと前足で顔を丁寧に何度も洗っていた。ねこなんてどれも朝は似た作業をするのだ。次にあぐらをかき,左足とお腹の あたりを,さっきよりもさらに念入りに舌でなめていた。すべての準備が整ったところで,クレープは窓の外をしばらくじっと見ていた。視線の先には何も動く気配などなかった。クレープは静かにソファから下り,窓の方に向かい外との境のところで20ほど数えてから外に出た。私はまたこの家に戻ってくるかしら,と少し心配しながらクレープから目を離さなかった。するとダンナが「朝食まだ?」と髭を剃り,洗った顔にアフターシェーブを塗りながら食卓に着いた。
「ちょっと待って。今すぐに支度するから」と言いながら,キッチンの方に向かった。 朝食はすでにほぼ出来上がっていて,あとはテーブルに並べるだけだった。ダンナは新聞を読みながらセットされるのを待っていた。ダンナの名誉のために言うと,彼は家事 をまったくしないわけではない。ただ,食事に関することはほとんど何もしない人だ。私と同じで,ずっと親と同居していた。そのため,自炊などしたことがないのだ。結婚する前から今に至るまで,彼が台所に立つ姿をほとんど見た記憶がない。

 「どうせ戻ってくるだろう」と,唐突にダンナが言った。不意を突かれた私だったが,冷静に「あの子ねこのこと?家に居ついたら飼ってあげようかしら」と言った。 「どうせ飼うんだろう。おまえの家系はみんなねこが好きなんだ」
「あなたの家系は昆虫かしら?」
「昆虫?蟻は確かに節足動物門昆虫類だ。だけど昆虫というのは地球上の生き物の中でもっとも種類が多いんだぞ。そんな大きなくくりで蟻を分類するもんじゃない。常識な いな。それに蟻が好きなのは俺だけ。親たちは全然,何にも知らないんだ。おまえと同じくらいに」と,少しぶっきらぼうに言って,そのまま黙って朝食の続きをしていた。
ちょっとカチンときたがいつものこと。それよりも,ほんの少しでも子ねこのことを気 にかけてくれたのが嬉しかった。

 何のことはない。結局クレープは私が午前中に本を読んでいるときに帰ってきた。まるで当たり前のように庭からキッチンの方に入ってきた。こうして彼女は私たちの暮らしの中に入ってきたのだ。